長野陽一 写真家|インタビュー
料理写真はポートレイトだ
2014.7.1 火
沖縄や奄美諸島の島々に住む10代の若者たちの写真で、1998年ガーディア
ン・ガーデンの「写真[人間の街]プロジェクトPart.2」に入選した長野陽一さん。その後も日本の離島の風景と、その島で暮らす人々を撮り続け、現在は、雑誌『ku:nel』(マガジンハウス刊)、広告、映画など、様々な分野へと活躍の場を広げています。インタビューでは、写真を始められたきっかけや2014年8月19日から開催する個展 長野陽一 料理写真展「大根は4センチくらいの厚さの輪切りにし、」について伺いました。
写真との出会い
多摩美術大学の油絵科で絵を描いていました。当時油絵科には、具象画、抽象画、パフォーマンス、映像など様々なクラスがあり、何をしても自由だった表現のクラスで、絵ではなく写真を使ったアート作品を制作しようとしたのが写真をはじめたきっかけです。旅先で知り合い友達だった写真家の小林紀晴さんに、写真をやりたいと相談し、カメラの仕組みなどを教えてもらいました。当時は写真ブームで、同じ学年に『ひとつぼ展』に出品していた蜷川実花さんがいましたが、流行っていた写真にさほど興味がなく、アンゼルム・キーファーやクリスチャン・ボルタンスキーのような写真というメディアを使った現代アートの影響を受け、写真を使った作品作りをしていました。ただ、写真の特性や自分との相性を知れば知るほど、東松照明さんや高梨豊さんの日本独特の写真に興味をおぼえ、次第に写真を撮るようになりました。
大学では好きな写真を撮っていれば良かったのですが、卒業後は仕事をしなくてはいけません。街に出てみると、イラストや絵の比ではないくらい写真があらゆる場所にあふれていて、写真には沢山仕事があると思いました。中吊り広告の写真を見て、「絶対俺が撮ったほうがうまいな」と思ったり(笑)。そんな甘い考えは、卒業後に小林紀晴写真事務所のアシスタントとして働き始めるとすぐに打ち消されました。写真を撮りながら生きていきたいと考えていたころ、それを仕事にするということがどういうことなのか、言葉で説明してくれたのが小林さんでした。作品作りに対する理想と、生きていかなければならない現実を考えながら、小林さんと写真の話を毎日していました。
ターニングポイント
その後、独立までの一番大きな出来事は「’98写真[人間の街]プロジェクトPart.2」に参加できたことです。入選した作品は、アシスタント1年目だった98年に仕事のロケで八重山諸島や沖縄、奄美諸島を訪れ、撮影の休み時間に撮った島の10代のポートレイトでした。宮古島の商店街を歩いていたら、粉だらけで真っ白になったセーラー服姿の女学生たちを見かけ、お願いして写真を撮らせてもらいました。今では禁止されてしまいましたが、宮古島では卒業式にメリケン粉を投げつけあう習慣があるのだと、駄菓子で作った首飾りをぶら下げ、手に花束を抱えたメリケン粉まみれの卒業生たちが教えてくれました。
東京に戻りそのフィルムを現像してみると、これまで見たことがない島の姿が写っていました。日本の島々には東京で暮らす自分たちが未だ知らない光景があり、いろんな島で10代のポートレイトを撮り続けたら面白いだろうなと思いました。気候や環境による顔立ちの違いに加え、その時代に流行っている髪型やファッション、登下校の風景、なにより思春期ということを写真にしたいと思いました。
たまたま仕事のロケ先で、撮り続けたいと思える自分のテーマを見つけたので、これはどこかのコンペに絶対応募しようと思いました。
ポートレイト作品としての形が出来たころ、「写真[人間の街]プロジェクト」がちょうど募集の時期で、審査員に奄美大島がルーツの島尾伸三さんがいらっしゃったので、写真をみてほしくてすぐに応募しました。結果、その写真が入選し、「シマノホホエミ」と題して初めて個展を行うわけですが、日々考えていた作品作りに対する理想と、生きていかなければならない現実の間をつなぐ作業のはじまりでもありました。島の10代と出会ってから個展まで、1年に満たない短い時間でしたが、展示においての経験はもちろん、審査員だった島尾伸三さん、大西みつぐさん、北島敬三さんと作品について対話したことはその後の自分の写真を方向付ける大きな出来事でした。
商業写真と作品写真
2000年に独立しましたが、当然ながら最初は仕事がありません。ただ、当時は公募展に入選することで、音楽やカルチャー系の雑誌から仕事の依頼や、展覧会開催の話などが舞い込んできました。同じ年に行われた横浜ランドマークタワーギャラリーでの川内倫子さんとの2人展もそのひとつでしたが、その会場でアートディレクターの有山達也さんと出会い、作品を前に撮影依頼を受けたのをおぼえています。2003年に「ストーリーのあるモノと暮らし」をコンセプトに創刊された雑誌『ku:nel』にも参加することになり、雑誌の取材として料理写真を撮り始めました。
雑誌や広告など、仕事としての商業写真は、シャッターを押す決定権は自分にありますが、撮影する理由やどのように写真を使うかは、企画を考えた人や、アートディレクターや編集者など、他者にゆだねられます。一方、作品写真は決定する行為が作品となるので、そのほとんどを自分で決めなければなりません。商業写真には制約があって、自由に撮れないことはある程度想像して頂けると思いますが、作品写真がなんでも出来るかというと、個人的な作品が故に著作権など、許可申請が現実的に難しかったりして、出来ないこともあるわけです。また商業写真として撮られた写真が写真集や写真展に使用され作品写真になることもあれば、その逆のケースもあります。そして現代の写真表現においては撮影行為に留まらず、アウトプットまでが写真表現(写っていることは嘘か本当か?にはじまり、作家本人が撮影していない作品でも表現が成立することなど、なんでもありの多様性)であり、現代アートとしても写真が語られています。もはや商業写真と作品写真の間にあるものは何かを考えることより、どちらの写真も撮られた目的から一度、客観的に眺めてみて、一枚の写真の可能性を探ることが大切だと考えています。目的と可能性をともに考えることで写真のその後が広がるのではと。当然のことですが、撮られた写真の著作権が写真家にあるのなら商業写真か作品写真なのか、写真家が決める権利を持っているわけです。だから撮影現場で、商業写真を撮っているからだとか、またはその逆だからだとか、意識していません。もし、意識したとしても撮られた写真は後から意味付けされるわけですから。どんな条件であっても撮られた一枚の写真にはあらゆる可能性があり、その可能性をどれだけ意識できるかが大切だと考えています。それが今回、料理写真展をする理由のひとつです。
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料理のポートレイト
例えば雑誌の撮影では、編集者の企画意図を理解し、デザイナーがレイアウトすることや入稿、印刷までの工程を考えながら撮っていて、他者の視点を意識します。それはポートレイト作品においての被写体に対する気遣いと似ています。相手に嫌な思いをさせてまで、自分が思った写真を撮ることに正直、意味を感じていません。撮影行為はあくまで受け身だと考えているのでそうなるのでしょうか。
その中でも『ku:nel』は、料理を作った人自身を取材して、料理の美味しさだけではなく、その人の暮らしやひととなり、人生を記事として掲載しています。ADの有山さんが僕に料理の写真を撮らせるというディレクションの意図するものは、シズル写真のような過剰に演出された料理写真ではなく、料理自体を撮影しながらも、その背景や、向こう側にあるストーリーを捉えるということで、ものの見方のセンスが求められているのだと思っています。だから、僕は料理や器をどこかしら「シマノホホエミ」のポートレイトのような眼差しで見ています。料理写真家じゃないのでそれしか出来ないといったらそれまでですが、写真に写しだされていることだけではなく、そこから読み取れるストーリーを伝えたいと思い料理写真を撮っています。
料理写真展「大根は4センチくらいの厚さの輪切りにし、」
今は誰でもスマホで、簡単にしかも大量に写真を撮ることが出来ます。世の中でよく撮られている写真は自撮りと料理だと、あるとき『フォトグラフィカ』編集長の沖本尚志さんに言われ、自分でも仕事以外で料理にカメラを向ける場面が沢山あることに気づきました。『ku:nel』に掲載された僕の料理写真を沖本さんが編集を手がける『料理写真大全』で紹介したいと依頼があったことで、これまで撮り続ける機会を与えられた料理写真が自分にとってどういうものなのかを考えました。まさか料理写真展をやるとは想像もしていませんでしたが、写真についてこれまでと違った角度から深く考えることは、嬉しいことでもありました。
繰り返しになりますが、今回展示する僕の料理写真は、本来は雑誌にテキストと一緒にレイアウト、掲載されていたものです。その料理はそもそも撮られる理由があり、言うまでもなく美味しい料理なのです。ここでひとつ定義づけておくならば、料理写真は美味しそうでなければなりません。料理が写っていても美味しさが伝えるものでなければ、それは単に料理が写っている写真であって、料理写真ではないと考えます。そして美味しさを伝えるということには様々な制限があります。お米は白くなくてはならないし、野菜の色、肉や魚の質感なども誰もが知っています。もしお米がちょっとでも青く写っていれば美味しそうに見えないのです。視覚が味覚に通じているためにそう思ってしまうのです。現代の写真表現を考えると、なんと不自由なことでしょう。さらに料理写真には言葉が必要です。メニューにはおしながきが、レシピ本には作り方が、広告にはキャッチコピーが、読み物にはエッセイやレポートなどが。料理について書かれた言葉によって写真に実用性が生まれ、役割を持った料理写真となります。それが料理写真の自然なあり方ですが、一方、料理は写真としても存在しています。料理や器がひとつの肖像と化し、写っているもの以外の意味を読み取ることができます。一枚の肖像画が、後世にその人物の存在を伝えるという役割を備えながら、美術鑑賞品としての機能も持つように、料理写真は一枚のポートレイト写真になり得るのでしょうか。その問いが今回の展示のテーマです。
16年前「シマノホホエミ」から全てがはじまったガーディアン・ガーデンで、それを試みたいと思います。
写真
左:ku:nel vol.3 「奄美大島、そよ風のころ。」より
右:ku:nel vol.18 「西安の餃子上手。」より
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沖縄、奄美諸島の島々に住む10代のポートレイト写真「シマノホホエミ」をガーディアン・ガーデンの「’98写真[人間の街]プロジェクトPart.2」で発表後、全国の離島を撮り続ける。写真集に『シマノホホエミ』(情報センター出版局/2001年)、『島々』(リトルモア/2004年)、改訂版『シマノホホエミ』(フォイル/2008年)、『BREATHLESS』(フォイル/2012年)など。国内外で個展やグループ展を開催し、中国・平遥国際写真フェスティバルやParis Photoなど国際展にも参加。また、マガジンハウス『ku:nel』などの雑誌、広告、CM、映画など様々な分野で活動中。
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